活動の記録

コアメンバーからのメッセージ Vol.3

こんにちは!
さいたま市役所元職員の藤田智子と申します。
現在は、フリーランスで広報PRの仕事をしています。

公務員は政治活動が制限されていたので私自身、初めての選挙ボランティアです!

市役所には珍しい「現場主義」のカタクラ!

市役所で「本庁」と「出先機関」は、区別されていたように思います。
片倉さんは行政全体を担う「本庁」、私は実働を受け持つ「出先機関」の職員。

所属する部局も勤務場所も違っていたため知り合う機会はありませんでした。

そんな私が片倉さんに初めて出会ったのは、2018年10月。
4年以上前のことです。

同僚に片倉さんを紹介され、氷川参道そばのクラフトビールのお店で乾杯したことを思い出します。「大宮カタクラパーク(現コクーンシティ)の片倉さん」と名前を覚えました。

当時の私は学芸員として「博物館」を盛り上げたい!貴重なさいたま市の歴史的財産を市民に伝えていきたい!と奮闘しながらも内部のトラブルで心の折れた状態でした。

一方、片倉さんは「さいたま市全体」を活気づけようと、自主勉強会を立上げて300人以上の若手職員を巻き込みながら音頭を取っているようでした。前例踏襲を嫌い、机上の空論でなく実務を重視する片倉さんらしいアイデアです。ビールを片手に店主と仲良く語らう姿は、地域を自ら歩いている証拠でした。

大局的に頑張る職員がここにいた!!

そんな驚きと出会いに感謝し、置かれた場所でもうひと踏ん張りしようという気持ちが私の中で湧きおこりました。

「調整力」で結果を出すカタクラ!

2度目の出会いは、2020年4月。
新型コロナ感染症の電話窓口当番として偶然、2人でチームを組むことになりました。片倉さんの機転の良さに直(じか)に触れたのはこの時です。

当時の片倉さんは、教育委員会の要所である「教育政策室」に在籍。お父様は心理職に従事され、お母様は教育相談をされていた影響もあって、教育問題、そして人間そのものへの関心は高かったようです。
同じフロアに異動していた私の眼には、片倉さんの際立った仕事ぶりが意識せずとも入っていました。所属や役職の壁を越えて軽やかに対話し、動き回る姿が印象的だったのです。

その半年後、私は「さいたま市役所は片倉さんがいるから大丈夫!」と勝手に片倉さんに思いを託して人知れず職場を去りました。

なぜ、片倉さんを応援するのか?

このようにエース級の職員であった片倉さんは、2022年12月1日に辞表を提出しました。
本人のSNS投稿で退職を知った私は、「さいたま市役所はどうなるの?」と組織の行く末を案じて動揺しました。

「片倉さん」「さいたま市役所」「さいたま市」は、私にとって同義だったからです。

ただ、この退職は片倉さんの”挑戦”であったことを理解して安堵しました。
まったくブレがない!

職員であろうとなかろうと、片倉さんに出会ったことのある方は、同じような心境だったと思います。

私が片倉さんのチャレンジを応援する理由は一つです。

片倉さんの存在が、
片倉さんのバランス感覚が、
片倉さんの熱量が、

今のさいたま市には必要だからです!!

今度は、「議会」という新たなステージで活躍する片倉さんの姿を見てみたい。
きっと渦を巻きながら突き進むことでしょう。

そんな大きな期待と片倉さんへの好奇心で応援しています。

(写真は左から藤田、清野秩父市議、片倉)

 

↓片倉さんと同じ職場で働いていたメンバーのメッセージはこちら

コアメンバーからのメッセージ Vol.2 - 片倉淳平オフィシャルサイト (junpeikatakura.com)

 

-活動の記録
-, ,