プロフィール

片倉 淳平(かたくら じゅんぺい)
【略歴】

1974(昭和49)年5月8日 東京都小金井市貫井北町にて出生

北海道上磯町立浜分小学校(小1~小2)、埼玉県与野市立与野南小学校(小2~小4)、埼玉県川越市立上戸小学校 卒業、埼玉県川越市立鯨井中学校 卒業
埼玉県立川越高等学校 卒業
北海道大学法学部 卒業

1998(平成10)年4月1日 浦和市役所入庁
建設部監理課(道路管理)

2001(平成13)年5月1日 さいたま市役所へ移行(2003(平成15)年には政令市移行)

法制課(市で定める条例などの審査を行ったり、法的な問題がないか相談に乗る業務を経験)
都市経営戦略部(市の重要政策の政策決定に携わるほか、地方創生や成長戦略の全庁的な推進を担当)
教育政策室(室長補佐として、さいたま市の教育政策のうち重要なものの立案・調整などを担当)

といったさいたま市の中でも重要な役割を占める部署を歴任。

2022(令和4)年12月31日 さいたま市役所退職

 

【生い立ちから学生時代】

  • 幼少期~小学生時代

 共働きの親の仕事の都合で引っ越しが多く、保育園3つ、小学校3つに通ったため、友達づくりの術を身に着けた子ども時代でした。小4でサッカー少年団、小6ではミニバスケットに入り、ファミコンのドラクエシリーズにはまり、少年ジャンプをこよなく愛する小学生でした。

  • 中学時代

  サッカー部レギュラーで生徒会長。とにかくよく走った部活では、持久力と体力がかなりつきました。また生徒会長として、リーダーシップを取る立場の難しさや達成感などをたくさん感じました。今でも中学時代の友達とは会いますが、懐かしいエピソードを語り合う友がいることは財産になっています。

  • 高校時代

 くすのき祭(文化祭)の実行委員を3年間続け、高3では中後夜祭班の班長をやりました。夏休みはほぼ毎日学校に通うなど、年間9か月を文化祭の準備に費やす日々。文化祭の在り方を仲間と激論し、夜祭の企画に熱中し、本番の3Daysに全てを賭けるという熱すぎる高校生活を送りました。高3の10月から受験勉強を本格開始し、年末年始に1日14時間勉強して、見事現役で合格。計画的にやり遂げることの意義と達成感を味わった瞬間でした。

  • 大学時代

  大学時代は、体育会系の山スキー部に所属し、冬山を登山し、ゲレンデではない雪面を滑ることに没頭。十勝連峰縦走、屋久島沢登りなど大きな山行も経験するとともに、自ら滑走した斜面が表層雪崩を起こし数十メートル流されるといった危険なことにも遭遇しました。朝焼けや夕焼け、壮大な星空など自然の美しさの素晴らしさに感動し、一方で、自然の厳しさを何度も味わった日々は、生きることの素晴らしさと命の大切さを私に刻み込みました。

 

【社会人時代】

  • 市役所時代1 ~浦和市役所入庁・三市合併・そして政令市移行の体験~

 平成10年4月1日に旧浦和市役所へ入庁。最初は作業着を着て、道路の現場が多い仕事を経験しました。この経験により、街の地理をよく覚えられ、職員のベースとなる現場力を蓄えることができました。

 平成13年5月1日の三市合併さいたま市誕生で、知らない職員が一気に増え、組織が大きく変わるという変化を経験。平成15年4月1日には政令市へ移行。それぞれの組織文化や運営方法の違いでの摩擦も多く体験したため、行政の理屈で合併しておいて、市民には迷惑をかけたくないという想いを強くした時期でもあります。

  • 市役所時代2 ~市役所の外で修業。そして、市役所外との交流の黎明期~

 平成16年12月から研修生として衆議院法制局に派遣されました。国会議員の要請に応じて議員立法を支援する組織で、市役所とは全く異なる仕事を体験しました。市役所に戻った後、様々な国会議員と触れたからか、市長や市議会といった政治の世界にも着目するようになりました。

平成23年度から、庁内公募のカイゼンサポーター、平成25年度には同じく庁内公募のシティプロモーショングループに応募し、通常業務以外の活動を経験。非常に忙しいスケジュールの中、積極的でやる気のある職員同士の仕事の楽しさを実感。また、業務改善の全国大会をさいたま市で開催したときは、他自治体の積極的な職員との交流も増え、一気に職員として世界が広がった時期でもありました。

  • 市役所時代3 ~ 庁内から市内へ活動が拡大 ~

平成25年度から所属した都市経営戦略部では、さいたま市の重要政策を推進する担当に。庁内の各局と全方位的に調整を行い、市全体の計画を推進したり、庁内の政策決定の場を取り仕切るなど、大きな経験をしました。

平成28年度くらいから地方創生を担当。東日本の各都市に直接赴き、その町の哲学を学び、市担当者も地域に出て行って一緒にまちの未来を考えていく他都市の取組を目の当たりにしました。さいたま市ではなかなか見られない熱量の高い現状を肌で感じ、さいたま市の現状を憂うようになった時期でもあります。

  • 市役所時代4 ~ そして、退職へ ~

平成30年度から教育委員会へ異動し、教職員給与課、教育政策室を経験しました。地域の核である小中学校を数多く訪問したり、教育委員会内の先生方とともに仕事をし、地域を知り、小中学校の解像度が上がった時期でもあります。義務教育学校の設置や部活動改革を始め、今後も継続する重要課題を担当しておりました。

市役所から、地域に飛び出していく活動はさらに拡大。さいたま新都心のコミュニティづくりを掲げる「つきのとかげプロジェクト」、小学校では学べない体験の場を提供する「子ども大学SAITAMA」、環境省の委託事業で地域の記憶を絵本にまとめて次世代につないでゆく「大宮ふるさと絵本づくり」、埼大生との定期交流企画で公務員の実情をなんでもお話しする「ぶっちゃけ公務員ってどうよ」、地域の志の貯金箱を作り地域課題の解決に選択肢を増やそうとする「公益財団法人埼玉しあわせ未来基金」の立ち上げなど、これまでの活動を通じ、様々な地域での活動に参加をしてきました。

こうした様々な市役所での仕事、地域での活動が相互に関連し、問題意識が高まっていった結果、市役所にいたからわかること、市役所にいてはできないことを市民のために取り組んでいくため、市役所の退職を決意。25年の市役所公務員人生に別れを告げることとなりました。

 

【おまけのプライベート】

家族は、妻(同い年。大宮っ子)、娘(18歳)、息子(15歳)の4人家族。さいたま市北区宮原在住。

趣味は、人と話すこと・スキー(テクニカルプライズ所持・市役所スキー部では競技スキーを経験)。好きなマンガはワンピース。